挨拶

與右衛門無言舘舘長・新潟県文化財保護連盟副会長 花ヶ前 盛明

上杉謙信は、新潟だけでなく日本を代表する偉人の一人である。謙信は戦国の世にありながら本当に稀なる武将で、領土を拡張して天下を獲ろうという意志はもっていなかった。例えば、四度目の川中島合戦を前にした永禄3年(1560年)関東の佐竹氏が謙信に助けを求めてきた際、謙信は「自分は“えこ(ひいき)”で戦をしたり、援助をしたりするんじゃない」と返答している。
また謙信は、生涯で川中島に5回、関東に13回、能登・越中に10回出陣しているが、その全てが私利私欲によるものではない、義を重んじたものだった。謙信は現代にも通ずるような人物であったといえるだろう。謙信の「義」の精神は、直江家・樋口家に引き継がれ、形を変えながら今の新潟県に連綿と伝わっていると確信している。
ここ與右衛門無言舘で、義をつらぬいた上杉謙信の思いに触れ、新潟という地への愛着と誇りを深めていただけると嬉しい。

花ヶ前 盛明氏は居多神社の宮司でもある(写真:上越観光Naviより)

<居多神社>
住所:〒942-0081 新潟県上越市五智6-1-11
電車:トキ鉄・妙高はねうまライン「直江津駅」より徒歩25分
路線バス:頸城(くびき)バス「国分寺裏門」下車すぐ

一般財団法人與右衛門無言舘・與右衛門無言舘設立者 樋口 孝四郎

與右衛門無言舘には、言葉にできない、人間の思いがこもったものがたくさん集まっています。
ふるさと越後から異国の福島会津への移封を命じられた上杉家・直江家・樋口家。このとき、私の先祖・樋口與右衛門は秀吉の命に背き、越後にとどまる道を選びました。以来数百年、樋口家は侍・武士ではなく、名もなき市井人としてふるさとで生き続けてきました。この「無言の移封」が子孫である私の、ふるさとへの思いの原点となっています。
ふるさとを離れ、東京で世界を相手に事業を行っているとき、私は様々な人と出会い、多くのものを譲り受けてきました。東京大空襲でも焼け落ちることなく立ち続け、命を落とした数十万の人々の声にならない叫びを今に伝える欅の巨木。悠久の時を地球とともに歩んできた縄文の緑、屋久杉。美を追い求める人間だけが作り出すことができる美術品。すべて、人間や自然の「無言の思い」がこもったものばかりです。私は燕市牧ヶ花にある生家の古民家(築百年、2階階段は螺旋階段作り)を改築し「與右衛門無言舘」と命名し、未来の子供たちのために広く歴史・文化の普及・継承していく場として提供しました。
ここには、ふるさと新潟、そしてこの地球に生きた人々の無言の思いを伝える品々を数多く展示しています。皆さまに見て、感じていただければ、これに優る喜びはありません。

一般財団法人與右衛門無言舘 代表理事 田野 隆夫

與右衛門無言舘は、日本一輝いているまち・燕市が誇る歴史資料館です。
無言舘には、NHKの大河ドラマ「天地人」でクローズアップされた上杉謙信・上杉景勝・直江兼続の資料が数多く展示されています。越後の名を全国に轟かせた謙信、謙信の治世を引き継いだ景勝、米どころ新潟の基礎を築いた兼続。3人の偉業を学ぶことができます。
また、日本だけでなく世界中から集められた美術品・工芸品の数々。徳川斉昭・藤田東湖・渡辺崋山・横山操・平山郁夫・東山魁夷・桂小五郎(維新の三傑)等々、江戸時代から明治・大正・昭和と日本を代表する画家の絵もご覧になれます。そして、世界の珍獣の剥製と触れ合うことができるのもここ無言館の大きな特徴です。他では見ることのできないパンダ・金絲猴の剥製も、ここ燕市の無言館に来れば存分に楽しむことができます。
学生・社会人にはふるさとの歴史の勉強の場として、お年寄りと幼いお子様には楽しめるスポットとして。燕の與右衛門無言舘をよろしくお願いいたします。

一般財団法人與右衛門無言舘 役員一同

代表理事田野 隆夫燕商工会議所会頭
理  事解良 憲一元燕市教育長
理  事伊藤 富一元燕市文化協会会長
監  事樋口 太彌人燕市道金自治会会長
評 議 員田邉 一郎燕市自治会協議会会長
評 議 員若林 與一燕市自治会連合会副会長
評 議 員深澤 龍雄燕市自治会連合会副会長
評 議 員觧良 亮一元分水町教育長
評 議 員斉藤 信行燕市市議会議員