①天下に響く謙信の拠点 〜越後春日山城跡
越後春日山城主 上杉謙信 諸代 直江景綱
越後春日山城主 上杉景勝 家臣 樋口与六兼続
上杉景勝直属旗本 樋口与右衛門
春日山城跡は上越市大豆に位置する標高180メートルの山城で、国の史跡に指定されている。2009年の大河ドラマ「天地人」以来、ここを訪れる観光客は多い。築城の年代ははっきりしないが、上越地方を掌握できる要衝に立地しているため、室町時代の初め(1341年)、上杉憲顕が越後守護として入国した際、築城したと思われる。
「春日山」の名称は奈良春日大社の御祭神を勧請し、城内に春日神社を創建したことに由来する。
上杉謙信は19歳で春日山城主になってから49歳で死去するまで30年間、ここ本拠地に信濃、関東、東北、北陸、京都東奔西走した。謙信死去後、御館の乱を制した上杉景勝が城主になり、豊臣秀吉の命により会津移封まで越後の国を治めた。城内には本丸跡、天守台跡、毘沙門堂、二の丸、三の丸、景勝屋敷跡、直江屋敷跡などがある。
<アクセス>
住所:〒943-0819 新潟県上越市大字中屋敷ほか
電車:えちごトキめき鉄道・妙高はねうまライン「春日山駅」より徒歩40分(春日山神社・謙信公銅像まで)
路線バス:頸城(くびき)バス「中屋敷」下車徒歩20分、頸城バス「春日山荘前」下車徒歩15分(春日山神社・謙信公銅像まで)
②景勝と兼続の生誕の地 〜越後坂戸城跡
越後坂戸城主 長尾政景 家臣 樋口惣右衛門兼豊
坂戸城跡は南魚沼市坂戸に位置する標高六三四メートルの堅固な山城で、国の史跡に指定されている。2009年のNHK大河ドラマ「天地人」以来、ここを訪れる観光客は多い。
上杉謙信の姉仙桃院の嫁ぎ先であり謙信の後継者となった、上杉景勝とその家臣直江兼続の出身地でもある。
JR六日町駅前に立つと眼前にその雄姿を仰ぐことができる。城跡には家臣屋敷跡、その奥に城主の御館跡がある。正面には門跡と、高さ2メートル長さ80メートルの野面積石垣がある。
この前に「史跡坂戸城跡」と「上杉景勝・直江兼続生誕地」の石碑が立っている。上田荘(越後の樋口発祥の地、現坂戸)に樋口部落と呼ばれた集落がこの辺りにあった。
<アクセス>
住所:〒949‐6611 南魚沼市坂戸
電車:上越新幹線 六日町駅より徒歩20分
車:関越自動車道 六日町インターより10分
③三国街道 監視する拠点 〜越後直峰(のうみね)城跡
越後直峰城主 樋口惣右衛門兼豊
直峰城跡は上越市安塚区安塚に位置する標高344メートルの中世の山城で、県の史跡に指定されている。上杉謙信は生涯13回にわたって関東へ出陣した。その際、直峰城下を往還した。
1578年(天正6年)謙信が死去すると、御館の乱が起こった。
直峰城は上杉景勝軍の拠点として、景勝の勝利に大きな役割を果たした。
1584年(天正12年)景勝の家老直江兼続の父、樋口惣右衛門兼豊が城主となった。以後、1598年(慶長3年)兼豊が兼続に従って米沢(山形県)に移るまで14年間城主を務めた。
<アクセス>
住所:〒942-0411 新潟県上越市安塚区安塚
電車:北越急行・ほくほく線「虫川大杉駅」よりタクシーで20分
車:北陸自動車道「上越IC」より直峰城跡駐車場まで45分
北陸自動車道「柿崎IC」より直峰城跡駐車場まで45分
関越自動車道「六日町IC」より直峰城跡駐車場まで85分
④直江氏3代居を構える 〜越後与板城跡
越後与板城主 直江兼続(樋口与六兼続)
与板城跡は、上杉謙信と景勝の家臣直江実綱、信綱、兼続三代の居城である。
長岡市与板町に位置する標高104メートルの山城で、通称城山。山麓の八坂神社から本丸跡まで遊歩道が整備されている。2009年NHK大河ドラマ「天地人」以降、ここを訪れる観光客が多い。県の史跡に指定されている。
中腹の「お船清水」は、中越地震後、渇水している。兼続の妻のお船の名前を付けたものである。男子のなかった実綱は娘お船の方に長尾顕景の子信綱を迎えた。ところが天正9年御館の乱の論功行賞のもつれから殺害された。
景勝は直江家の断絶を惜しみ兼続に直江家を継がせた。兼続は景勝の家老として上杉家を安泰に導いた。
知将、経営家、軍師で豊臣秀吉をして「天下政治を安心して預けられるのは、兼続など数人にすぎない」と言わせた。
<アクセス>
住所:〒940-2402 新潟県長岡市与板町与板乙835
バス:長岡駅大手口バス停12番線より与板バス乗車「上与板バス停」下車。与板城入り口まで徒歩10分
車:関越自動車道長岡I.C.より車で20分
北陸自動車道長岡北スマートICより車で約5分、中之島・見附ICより車で約15分
⑤温泉街望む堅固な山城 〜越後天神山城跡
越後天神山城主 大国実頼(樋口与七実頼)
天神山城跡は新潟市西蒲区岩室温泉街背後の標高234メートルの堅固な山城である。
JR越後線岩室駅下車バスで岩室温泉街へ。車なら岩室神社入口天神山城跡登山口に至る。登山口から徒歩20分「天神山城本丸跡」の石碑がある。
1153年(仁平3年)、源三位頼政の弟頼行が小国保(長岡市)に住み天神山城を築き嫡子宗頼を城主にしたと伝えられる。
1582年(天正10年)小国重頼の養子となって小国家を相続したのは、樋口実頼である。実頼は上杉景勝の家老直江兼続の弟で幼名与七。
1587年(天正15年)、豊臣秀吉の君命により「大国」と姓を改めた。同年豊臣秀吉の聚楽第新築落成の時、上杉家の賀使を務めた。
1598年(慶長3年)、景勝の会津移封の際、会津鴫山城二万一千石の城代となる。
※大国実頼の子孫で元日本製紙連合会長の大国富丸氏は天文学者でもあり発見した新星に兼続と命名した。
<アクセス>
住所:新潟県新潟市西蒲区岩室温泉
バス:JR越後線「岩室駅」よりバスで10分、下車後、徒歩で20分
車:北陸自動車道「巻潟東IC」より車で30分
⑥長い尾根を利用した城 〜越後岩手城救護城跡
越後岩手城救護城主 樋口与三右衛門兼重
岩手城跡は上越市柿崎区岩手字城山に位置する標高115メートルの山城、信越本線柿崎駅下車。岩手集落北西背後の山の山麓より整備された道を登ること20分、本丸に至る。
本丸跡は27m×10m、中央に塚があり、石祠が祭られている。本丸跡からは霊峰米山、猿毛城跡(上越市柿崎区)、旗持城跡(柿崎市)、春日山城跡などが眺望できる。
1578年(天正6年)3月13日上杉謙信が死去すると、御館の乱が起こった。このとき猿毛城将上野九郎衛尉は上杉景勝方として上杉景虎軍と戦った。(天正6年)6月17日、景勝は赤沢(上越市吉川区)からの救援要請に応え、樋口与三右衛門兼重に鉄砲2丁を持たせて応援させた。岩手城跡の南下が赤沢集落である。このことから、この「赤沢」は岩手城のことと思われる。
<アクセス>
住所:新潟県上越市柿崎区高畑・岩手、吉川区赤沢
電車:JR信越本線「柿崎駅」から徒歩45分
バス:頸北バス「高畑」から徒歩10分
車:北陸自動車道「柿崎IC」から車で10分
⑦景虎救護軍を阻止へ 〜越後荒戸城跡
越後荒戸城主 樋口与三右衛門兼重
荒戸城跡は「荒砥城」とも書く。南魚沼郡湯沢町神立に位置する標高789m。堅固な山城で、県の史跡に指定されている。上越新幹線越後湯沢駅西口から国道17号線を苗場方面へ、芝原トンネル入口手前を左側に入り30分程登ると「荒戸城本丸跡」に至る。
御館の乱が起こったとき、上杉景勝は景虎救護の関東小田原北条軍を阻止するため深沢利重らに荒戸築城を命じ荒戸城が登場する。北条軍と壮絶な戦い北条軍を撃破する基地だった。
天正7年御館の乱が終結し、樋口与三右衛門兼重、富里三郎左衛門らを荒戸城将に命じた。のちに樋口与三右衛門兼重は、荒戸城主となる。特に樋口与三右衛門兼重は兼続の父兼豊と従兄弟同士である。与三右衛門の子が与右衛門である。燕市牧ヶ花の樋口与右衛門家は、その子孫にあたる。
<アクセス>
住所:新潟県南魚沼郡湯沢町大字神立及び三俣
電車:鉄道:上越新幹線越後湯沢駅より車で約20分(国道17芝原バス停より徒歩約1時間)
車:関越自動車道湯沢ICより約10分
⑧景勝の会津移封で廃城〜越後黒滝城跡
越後黒滝城主 山岸秀能
黒滝城跡は、西蒲原郡弥彦村にある標高246メートルの山城である。黒滝城跡森林公園入口より県道麓ー野積線に入り、黒滝城登山口で下車。ここから登ること10分本丸跡に至る。
本丸跡は、天神曲輪と呼ばれ石祠と「黒滝城跡」の標柱がある。下方に桜井ノ曲輪、大蓮寺曲輪、鷲沢ノ井戸、桜井ノ井戸などがある。特に大蓮寺曲輪は燕市中島の大蓮寺に関係したもので、鷲沢ノ井戸は樋口与右衛門家の菩提寺大蓮寺住職鷲沢家ゆかりの井戸である。
1562年黒滝城主・山岸左衛門尉貞広の家臣・解良新八郎が海津城牧ヶ鼻(牧ケ花)浦居海津城の観照寺の地に土着。
1578年(天正6年)上杉謙信の死後、御館の乱が起こった。城主山岸秀能は一族の山岸光裕、村山慶綱らと上杉景勝に味方し、上杉景虎軍と蒲原平野各地で戦った。黒滝城は西蒲原における景勝軍の拠点であった。
翌7年、景虎が自刃した後も、三条城将・神余親綱らは景勝に抵抗し黒滝城を攻めた。天正8年7月神余が降伏し、御館の乱は終わった。
1598年(慶長3年)景勝の会津移封で山岸秀能も同行し、廃城となった。
<アクセス>
住所:新潟県西蒲原郡弥彦村麓7832
電車:JR弥彦線「弥彦駅」よりタクシーで10分
車:北陸自動車道「三条燕IC」より車で40分
直江兼続と越後の山城顕彰会
当顕彰会は、上杉謙信後継で春日山城主の上杉景勝家臣だった与板城主・直江兼続(樋口与六兼続)、直峰城主・樋口惣右衛門兼豊、荒戸城主・樋口与三右衛門兼重、春日山城主の旗本五十騎・樋口与右衛門、天神山城主・大国与七(樋口与七実頼)、など越後の山城城主たちを顕彰しています。
また、日本を代表する歴史学者で無言舘舘長・花ヶ前盛明氏と、越後の戦国時代の山城を訪ねる企画をしております。
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