展示品の一部ご紹介

與右衛門無言舘では與右衛門ゆかりの品をはじめ美術品や、工芸品の域を越え芸術の域に達した品々をご覧いただけます。ここでは展示品約250点からその一部をご紹介いたします。

屋久杉

屋久杉
推定樹齢7200年

今見る縄文の縁 天の恵みか神の聖域か

1993年  屋久島 世界自然遺産登録
1993年  日本特別天然記念物指定

與右衛門無言館には多数の屋久杉があります。樹齢1000年以上の物を屋久杉と呼び、埋没林になりますと推定樹齢4000~4500年と言われます。
伐採の前には多くの労力を要するため、その良否を確認するための斧を入れる「試し伐り」が行われ、当舘にある屋久杉のいくつかにもその跡が残されています。
豊臣秀吉の名により聚楽第の建築資材として使用されたと言われる、屋久杉の斧跡が舘内に展示。(NHKメディアテクノロジーDVD参照)

NHKメディアテクノロジーDVD 無言館でご覧ください

屋久島「栃の木巨木テーブル」(燕市所有)幅250cm厚20cm、推定樹齢2000~3000年、重量200~300kg
屋久島「楠巨木テーブル」(燕市所有) 幅200cm厚20cm、推定樹齢2000~3000年、重量200kg~300kg

樋口与七実頼(後の大国実頼、天神山城主)に豊臣秀吉が命じ聚楽第の資材として使用したといわれ、京都東山に建立する方広寺(ほうこうじ)大仏殿の用材調達として島津義久に調査にあたらせたとも言われています。

樹脂分を多く含む屋久杉は腐りにくいことから関西の寺社用の屋根材として珍重されるようになり、薩摩藩の財政を建て直したといわれるほどです。

  • 舘内に豊臣秀吉の試し伐りの斧跡といわれている屋久杉を展示 国宝級(舘内案内本P46参照)
  • 屋久杉樹齢4000年 屋久杉根コブ燕市役所4階ロビーに展示
  • 無言舘受付ホールに屋久島の栃の木巨木のテーブル(幅250cm,重量200~300kg)
  • 無言舘受付ホールに屋久島の楠巨木のテーブル(幅250cm,重量200~300kg)

木工・彫刻

(無言舘舘内案内を参照してください)展示品約250点

  • 全日本こけしコンクール総理大臣賞受賞作品 30体
  • 上杉謙信戦勝祈願像多聞天・北(四天王の一人)
  • 台湾・阿里山紅檜木の玉座の椅子テーブル
  • 台湾・阿里山紅檜木の布袋様
  • 『喜ぶ少女』文化勲章受賞 北村西望(長崎平和祈念像の作者)
  • 『釈迦誕生』文化勲章受賞 澤田政廣(無言舘屋外に展示/高さ310cm,幅150cm/重量1t)

絵画

(無言舘舘内案内を参照してください)

  • 漢文、第9代水戸藩主 徳川斉昭(第15代将軍徳川慶喜の父)
  • 書、日本国初代総理大臣 伊藤博文(明治42年清国黒竜江省ハルピンで暗殺
  • 軍事郵便の現物、日露戦争陸軍大将 乃木希典
  • 源義仲の武者粧絵(重要文化財級)、東京芸術大学日本画主任教授 前田青邨(画師 橋本雅邦)
  • 四水画、(国宝級) 文化勲章受賞 河合玉堂(画師 橋本雅邦)
  • 法隆寺、文化勲章受賞・東京芸術大学学長 平山郁夫(画師 橋本雅邦前田青邨)
  • 赤富士、燕市生まれ日本のゴッホと言われた横山操

陶磁器 ~景徳鎮(けいとくちん)

日本に11枚ある記念絵皿の1枚0351号です。
この皿は南條修氏より寄贈された景徳鎮の皿です。南條修氏は、北京大学卒で、独立行政法人日本貿易振興機構(JETRO)の理事のときに、安倍晋太郎元副総理大臣 (元安倍晋三総理大臣の父)の中国共産党 鄧小平主席との交渉の際の通訳として帯同した時、南條修氏が『私に一枚いただけますか』とお願いし、直接、鄧小平氏よりいただいた記念磁器です。

鄧小平主席は葉巻たばこの愛用者で、南條修氏も葉巻たばこの愛用者でお話が進んだ。南條修氏は当時,酒井興業中国上海支店事務所長で(株)クロスターの通訳など務めた。

南條 修 氏(元 JETORO理事)
香港返還1997年7月1日記念景徳鎮芸術磁器・中国共産党 鄧小平主席 – 英国サッチャー首相
絵皿裏
「世紀永遠、成功の碑」1997年7月1日、景徳鎮、芸術磁器工場特製、コレクション番号:0351号

中国の景徳鎮と呼ばれる陶磁器は千年を超える歴史があります。脈々と受け継がれるその匠の技術により、他国では作ることのできない究極の美術工芸品といえるでしょう。

当館の景徳鎮は、世界でも圧倒的な支持を集める白磁の素地に『青花』と呼ばれる代表的な絵柄のものです。

『中』は令和6(2024)年1月1日の能登半島地震により200ヶくらい粉々に割れて破損してしまいました。現在は展示しておりません。
そのため、ボランティア価格で修復出来る方を求めております。修復後は修復者名を記して再度展示致したいと思っております。

※陶磁器の詳細は『與右衛門無言舘 舘内案内』97ページをご参照ください

左から大:高さ2m、中:高さ1.8m、小:高さ1.2m

パンダ・テンテン

当館にはパンダがいます。その名もテンテン、和名は与六です。もう1頭はケンケン、和名は与七です。燕市のPRのために貸し出しで留守にしていることもありますが、せひ皆さん会いに来てくださいね!(中国・四川省産)

日本国内で登録されているパンダの剥製は4体のみといわれています。うち2体が與右衛門無言舘に所蔵・展示されています。
※テンテンやケンケンと一緒に記念撮影ができます。受付へお申し出ください。(パンダ以外の展示品撮影は禁止となっております)

会いに来てね!!

その他

進軍ラッパ – 太平洋戦争1941年(昭和16年)

霞ヶ浦海軍航空隊・特攻命令の進軍ラッパの現物
※佐藤勇氏、熊倉年雄氏より

軍神神風特攻隊として亡くなられた四千余人の特攻隊員の無言の無念を後世に深く語り残すため寄贈された進軍ラッパです。

二宮金次郎(現物)

1941年(昭和16年)大東亜戦争(第二次世界大戦)で戦争に供出を免れ、国上村村立四ヶ村小学校(明治7年開校。元牧ヶ花小学校)で戦争に行かなかった二宮金次郎の銅像の現物です。
国上村役場助役・志田傳平氏が、金次郎像が戦争に行くようであれば戦争に負けると役場の裏小屋に保全したものです。当時は全国の学校の校庭にありましたが、殆んど軍部の命令で供出させられました。
金次郎は通称で本名は二宮尊徳(にのみやそんとく)。1787年9月4日、相模国足柄上郡栢山村(現小田原市)の百姓の長男として生まれる。子供のころから働きながら勉強に励み藩士・幕臣に出世する。勉学に励めば偉くなれる手本となり、当時の尋常小学校の校庭に建てられた。(富山県高岡製)

鍋蓋心月輪(なべふたしんげつりん)
百木園 觧良順治 作/昭和32年5月

牧ヶ花百木園・觧良順治氏作の心月輪は良寛和尚が3年間住んでいた觧良家の菩提寺・観照寺寺門祈願六地蔵の改修工事を樋口孝四郎氏が行った折り、觧良順治氏よりお礼としていただいたものです。
觧良順治氏の祖先・觧良新八郎氏の息子の叔門と粟生津村・鈴木文台は、観照寺の塾友達だったそうです。(粟生津村長善館は元粟生津郵便局・鈴木文台家)
※舘内に展示されております

鍋蓋の由来として
毎年年賀の折に出入りの大工さんが持参したと言われる漬物樽の押蓋と言われております。飯炊き女中が古い杉板の押し蓋を風呂の薪として燃やそうとしたときに、良寛和尚が押し蓋に「心月輪」と書いた。良寛和尚が亡くなり数十年後に墨で書いた文字が薄く見えなくなり、当時の解良新八郎氏が自ら刃を執り彫ったと言われております。現物は42.5cm、少し割れて居ります。