戦国の世、上杉家家老・直江兼続と上杉景勝を中心とした年表です。
ダイナミックに変化する時代の、中心近くで活躍していた直江兼続の足跡にせまります。
西暦(元号暦) | 直江兼続 (なおえかねつぐ) ![]() | 上杉景勝 (うえすぎかげかつ) ![]() | 主な出来事 |
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1467年 (応仁元年) | 応仁の乱 (~1477年まで) | ||
1543年 (天文12年) | 種子島に鉄砲伝来 | ||
1549年 (天文18年) | キリスト教伝来。 フランシスコザビエル、日本でキリスト教を広める | ||
1553年 (天文22年) | 川中島の戦い(1) 武田信玄と上杉謙信の合戦。~1564年(永禄7年)まで5回 | ||
1556年 (弘治2年) | 1歳。越後国において、上田長尾家当主・長尾政景(ながおまさかげ)の次男として生まれる。母は上杉謙信の実姉・仙洞院(せんとういん) | ||
1559年 (永禄2年) | 上杉謙信、上洛して足利義輝と会う | ||
1560年 (永禄3年) | 1歳。樋口兼豊(ひぐちかねとよ)の長男として、坂戸城(新潟県南魚沼市)城下で生まれる | 桶狭間の戦い 織田信長が今川義元に勝利 | |
1561年 (永禄4年) | 上杉謙信、上杉憲政から関東官僚の職を譲られる | ||
1564年 (永禄7年) | 5歳。上杉景勝に従って春日山城に入り小姓、そして近習(きんじゅ:主君のそばに仕える者)として仕える | 9歳。父・長尾政景が死去。春日山城に入り、叔父・上杉謙信に養子として迎えられる![]() | |
1573年 (天正元年) | 室町幕府が滅亡。 武田信玄、死亡。 朝倉家・浅井家の滅亡 |
西暦(元号暦) | 直江兼続 (なおえかねつぐ) | 上杉景勝 (うえすぎかげかつ) | 主な出来事 |
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1578年 (天正6年) | 19歳。御館の乱(おたてのらん:上杉家の後継者争い) | 23歳。上杉謙信が死去する。 御館の乱において、上杉景虎(うえすぎかげとら)との相続争いが勃発する | 上杉謙信、病死 |
1579年 (天正7年) | 24歳。武田勝頼(たけだかつより)の異母妹・菊姫を正室に迎え、甲越同盟を結ぶ。 上杉景虎が自害する。 | ||
1581年 (天正9年) | 22歳。上杉景勝の命令により、お船の方(おせんのかた)の婿養子となり、直江家の跡を継いで与板城(よいたじょう)の城主となる。![]() | ||
1582年 (天正10年) | 織田信長が本能寺の変で自害 | ||
1586年 (天正14年) | 27歳。従五位下 (じゅごいげ)に叙せられる | 31歳。従四位下・左近衛少将 (じゅしいげ・さこんえのしょうしょう)に昇叙転任 | |
1587年 (天正15年) | 35歳。小田原征伐に出兵し、北条家方の諸城を攻略する | 32歳。新発田重家の乱(しばたしげいえのらん)で新発田家を討ち、越後の再統一をほぼ果たす | |
1590年 (天正18年) | 31歳。小田原征伐で上杉景勝に従い、関東諸城を攻略 | 35歳。小田原征伐に出兵し、北条家方の諸城を攻略する | 小田原の役 奥州平定が終わり、豊臣秀吉による天下統一 |
1595年 (文禄4年) | 40歳。豊臣秀吉より、越後国、及び佐渡国における金銀山の支配役に任命される。 豊臣家の大老に任ぜられる |
西暦(元号暦) | 直江兼続 (なおえかねつぐ) ![]() | 上杉景勝 (うえすぎかげかつ) ![]() | 主な出来事 |
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1598年 (慶長3年) | 39歳。上杉家が会津へ移封された際、直江兼続には、出羽国・米沢(山形県米沢市)に6万石の領地が与えられる | 43歳。120万石に加増され、会津(現在の福島県会津若松市)へと移封される | 豊臣秀吉、死去 |
1600年 (慶長5年) | 41歳。上会津征伐が勃発。 最上・伊達連合軍と上杉軍のあいだで慶長出羽合戦(=長谷堂城の戦い)が勃発。 関ヶ原の戦いが早めに勝敗が決まったことにより、降伏へ方針転換する | 45歳。徳川家康の召還命令を、直江兼続が送った書簡「直江状」を以って拒否する。北の関ヶ原とも称される慶長出羽合戦(けいちょうでわかっせん)に参戦。関ヶ原の戦いでは西軍に付き、敗北する | 関ヶ原の戦い |
1601年 (慶長6年) | 42歳直江兼続、上杉景勝と共に上洛を果たす。徳川家康に謝罪し、上杉家の存続を許される。出羽国米沢30万石に減移封される | 46歳上杉景勝、直江兼続と共に上洛を果たす。徳川家康に謝罪し、上杉家の存続を許される。出羽国米沢30万石に減移封される | |
1603年 (慶長8年) | 徳川家康が征夷大将軍に就任、江戸幕府が開かれる | ||
1604年 (慶長9年) | 45歳。徳川家の重臣であった本多正信の次男・本多政重(ほんだまさしげ)を婿養子として迎え入れる | ||
1614年 (慶長19年) | 55歳。髙田城築城において、伊達政宗指揮のもと、上杉景勝と共に天下普請に携わる。 大坂の陣で徳川方として参戦。鴫野の戦い(しぎののたたかい)などで武功を挙げる | 59歳。大坂冬の陣に、 直江兼続と共に出陣する | 大坂冬の陣 |
1615年 (元和元年) | 大坂夏の陣 | ||
1619年 (元和5年) | 60歳。江戸鱗屋敷(えどじょう うろこやしき)で病死 | ||
1623年 (元和9年) | 68歳。米沢城(山形県米沢市)で死去 |