景勝直属の旗本の樋口与右衛門と荒戸城主・樋口与三右衛門は、上杉景勝・直江兼続の福島若松城-山形米沢城への移封に同行せず越後に留まった。
与板城から黒滝城の山城の武家屋敷より牧ケ花字浦居に土着し、春は米作り、冬には稲藁で草鞋(わらじ)・蓑(みの)・草履(ぞうり)・縄・筵(むしろ)・叺(かます)・米俵(こめたわら)・米俵の蓋(へそ)・藁沓(わらぐつ)・菅笠(すげがさ)・稲藁雨具(わらボシ)などを作ったという。
樋口家の物作りの伝統は江戸から明治・大正と続き、大正期には畳表(雨具)、藺草(いぐさ)でゴザボシ(雨具)を作り、昭和30年代まで続け財を成したという。稲藁の恵み、文化生活に感謝し、毎年稲藁で注連縄(しめなわ)を作り神殿に奉納した。
昭和6年(1931年)に樋口歳太郎氏(樋口孝四郎の祖父)が新潟市東大通りの商社(株)大森商店からアメリカ製シンガーミシン3台を3年払いで購入し、畳表および、藺草でゴザボシを量産した。当時は近村からシンガーミシンを見に来る人達が多かったといわれている。樋口与右衛門家に受け継がれる物作りの伝統は、與右衛門無言舘設立者である樋口孝四郎氏へと続いているといえる。
江戸末期〜明治初期に、樋口与四郎氏は物作りで財を成し、明治28年軍用品の献納により新潟県知事・勝間田稔氏から表彰されています。(献納:神仏・国家・貴人に金品などをたてまつること)
昭和33年〜54年、與右衛門無言舘創設者・樋口孝四郎氏が上記シンガーミシンを活用したワールドBRAND BAGの企画開発を展開し、業界一番の物作りで1979年(昭和54年)東京浅草雷門通り前に株式会社クロスター浅草與右衛門ビル本社を構えることが出来た。