與右衛門無言舘よえもんむごんやかたについて

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與右衛門無言舘よえもんむごんやかたは、ふるさと越後に留まることで祖先の思いを伝えようとした人々の行動を讃えるため、與右衛門の後継者である樋口孝四郎氏が、平成27年(2015年)現在の地に設立したものである。


戦国の世、越後の地は上杉謙信から上杉景勝へと引き継がれた。景勝が豊臣秀吉の臣下となったのち越後は、上杉家家老・直江兼続による米作り・物作り奨励のもと、豊かな土地へと変っていった。
しかし慶長3年(1598年)、秀吉は景勝に会津への移封(転封)を命じた。景勝は秀吉の命に逆らえず、兼続らとともに越後を後にして会津へ移り住んだ。
しかしこのとき、兼続と祖先を一つにする荒戸城主 樋口与三右衛門兼重と春日山城主直属旗本 樋口与右衛門は、武士の地位を捨て寺院や百姓となることで、ふるさと越後に残る道を選択した。これを樋口家では「無言の移封」と呼んでいる。

樋口与右衛門
春日城主直属旗本
樋口与右衛門
石碑:釈迦誕生、澤田政廣 作

與右衛門無言舘正門

江戸時代末期頃に作られた與右衛門家の土蔵入口の扉(欅の一枚板)をリノベーションしました。門を支えている欅の巨木柱は、昭和20年(1945年)3月10日の東京大空襲で戦火に耐え焼け残った東京・青梅街道沿いの欅並木をそのまま活かしたものです。東京大空襲の犠牲者は13万人とも言われますが、この欅の巨木柱からは亡くなられた方々の平和の叫びが聞こえてくるようです。